2012年御翼12月号その3

神が植えたところで咲きなさい  渡辺和子シスター

 修道者であっても、キレそうになる日もあれば、眠れない夜もあります。そんな時に、自分をなだめ、落ち着かせ、少しだけでも心を穏やかにする術を、いつしか習いました。
 三十代半ばで、思いがけず岡山に派遣され、翌年、大学学長に任命されて、心乱れることも多かった時、一人の宣教師が短い英詩を手渡してくれました。Bloom where God has planted you.(神が植えたところで咲きなさい)「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。(箴言19:21「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。」)
 置かれたところで自分らしく生きていれば、必ず「見守っていてくださる方がいる」という安心感が、波立つ心を鎮めてくれるのです。
 咲けない日があります。その時は、根を下へ下へと降ろしましょう。
     渡辺和子『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)より  
     聖句(箴言)は佐藤 順牧師が追加


 30代で学長となった渡辺シスターは、くれない族″になってしまったという。「あいさつしてくれない」こんなに苦労しているのに「ねぎらってくれない」「わかってくれない」と。そんなとき、ある宣教師が、「置かれたところで咲きなさい」という詩を教えてくれた。シスターは、「置かれた場に不平不満を持ち、他人の出方で幸せになったり不幸せになったりしては、私は環境の奴隷でしかない。人間と生まれたからには、どんなところに置かれても、そこで環境の主人となり自分の花を咲かせようと、決心することができた。それは『私が変わる』ことによってのみ可能だった」と言う。
 シスターは、くれない族″の自分と訣別し、先に学生にあいさつし、ほほえみかけ、お礼をいう人になった。すると不思議なことに、教職員も学生も皆、明るくなり優しくなってくれた。「結婚しても、就職しても、子育てをしても、『こんなはずじゃなかった』と思うことが、次から次に出てきます。そんな時にも、その状況の中で『咲く』努力をしてほしいのです。『現在』というかけがえのない時間を精一杯生きましょう」と渡辺シスターは言う。 

バックナンバーはこちら HOME